絵を描いてダイエットして幸せに生きる

最近の世の中は創作に厳しくねって話

心に余裕がない

ハイどーも。管理人のサンマスターです。今月はもうお仕事も下火になってきたのでまた頑張ってブログを少し書いていこうと思います。

前回は減量している人の観察日記をつけました。

減量初期の人間を観察してみた感想を最低限述べていく

今回は愚痴です。

我懐古厨なり

先日、ニコニコ流星群の動画を見た。コメントでもあったんだけどあの頃はよかったとたくさんの方がコメントしていかれていた。

それに関連して管理人もすこし10年ほど前のネット事情を思い返した。確かあの頃はネットに法というものが整備されておらず、違法アップ動画やミラー配信。果てはYouTubeにエロ動画が見れたりしていた。

そんなまさに世紀末状態のニコニコ動画。しかしそこには変態と称される天才どもがゴロゴロと、だがひっそりと生活していた。

天才的な編集センスを持つもの。コメントによって動画を盛り上げる職人。誰もがしないことをあえてする愛すべきバカ。米津もハチ名義で活動していたり、有名ボカロPもたまに変態的な作品を生み出していた。

また、ニコニコやYouTubeだけではなくアニメ界隈あの頃は何度目か分からない波が来ていた。今現在若者のオタクといわれる世代が神作品というのはあの時代のアニメやラノベが多いのではないだろうか。

もしあの時に管理人がモノを創るという喜びに目覚めていたら、今の人生とは少し違う道を歩んでいたのかもしれない。

それはそれとして、あの頃はモノを創る側だけではなく作品を享受する側にもある種の情熱があった。とあるジャンルを広めるために布教するもの。一体感を生み出すための弾幕。ショーもないことを全力でやる様は本当に輝いていた。

2000年代は本当にオタクとしてのネット全盛期だったとおもう。

そして2010年代頃から急速にネットというものが一般的になってきた気がする。ちょうどみんながスマホを持ち始めたころだろうか?ネット=オタクというイメージが一転、ITなどという頭のいい人間どもが入り込んできた。さながら黒船来航である。

いや頭のいい人間という表現には語弊があるか。ここで金の亡者どもとよぼう。あいつらは常に最高効率を求める。そこに一切の遊びはない。いかに消費者から金を巻き上げるかを考える。

そうなると今度はアプリゲームが流行った。ガチャ課金による一攫千金ブームの到来である。サイゲームス、ガンホーなどこれに乗じて大きくなった会社は今も前線を走り続けている。

この時代から古のオタクは違和感をもちはじめていったのではないのか。例えば課金システム。それまでのゲーム界隈としてはゲームを最速でクリアしたもの、面白いバグ、高等テクニックを連発した魅せプレイができるものがクラスの人気者であった。

しかし、この課金というものはそれら一切を廃し、〇〇というキャラを持っているもの、限界突破をしたものがその座についた。そしてこのオカネをかけた人間がゲームがうまいという流れになった。

次にアニメ界隈。このから妙にリメイク。リマスターというものが増えていった。確かに新しいナンバリングよりもヒット作を綺麗にして再発売した方が手堅くかつ効率的に稼ぐことはできる。しかしちょっと量が多すぎませんか。

さらに最近はアニメというよりもユーチューバーの話にシフトして言っている。確かに配信プラットフォームでの配信はコストがあまりかからない。

そしてネット界隈。ネットの規制で違法アップロードは駆逐され、少しでも怪しいものがあれば一般人でも名剣著作剣で二次創作者をアバンストラッシュすることができるようになった。

このように各界隈はいかに金のサイクルを速く効率的に回していくかにシフトしていった気がする。

効率を求めるうえで遊びやカッコつけるというのは唾棄される要素である。かっこいい文章は中二病。馬鹿な行いはガキ臭い。オリジナルは時間の無駄。そして無駄な要素は歓迎されなくなっていった。

ちなみに卓越した技術を持つ人間はその限りではないことを再度念押ししておく。

こんな時代にももちろんよい側面もある。

例えばeスポーツ。ゲームはガキの遊びという認識から一転。世界共通の競技として昇華された。これは喜ばしいことである。この原因として大企業の援助があるので、企業の参入=今までの文化の破壊というのは早計である。

例えばSNS。創作者が簡単に繋がれるようになった。これも喜ばしいことである。

著作権についてもクリエーターにお金が還元されるようになった。

さて、ここからが本題。これらの話を踏まえて聞いてもらいたい。

最近のイラスト界隈である。イラストにおいても最近は速さと知名度が求められる。この人の絵は素敵だから評価されるのではなく、登録者数〇万人の絵は素敵だになってきた気がする。

その方の絵は大体がとっても上手な絵である。しかしそこに違和感を感じる。創作者はうまいの前に”かわいい”とか”かっこいい”とか”きれい”とかそういうものが先に来るべきなのだ。

技術はうまいが先に感じるのがそれってどうなの。

素人でも感情のこもった絵というのはすぐわかるものである。なぜならその人のこだわりが真正面に出てくるからだ。また技術を使って情景を思い浮かばせることも可能である。それらの絵は決してきらびやかではないがそこにはっきりと思いが感じられる。

これもまたネットの普及のせいだと思う。ネットはありとあらゆる技術を最速で私たちに共有してくれる。それらをその通りに使えば確かにうまく作れる。でもそれだけである。

もっと言えばうまくても流行りに乗っかっていなければ見向きもされない。

つまり人気の創作者になるには流行りに乗る必要がある。

流行りに乗ること自体はだめではない。れっきとした戦術である。しかしその流行りに乗って同じ技術を同じように使った絵があまりにも多すぎる。

あ~うまいな~で終わり。何も感じれない。

ネタ絵を描けというわけではない。絵をみて一発でこの人だっていうのが少なすぎるのが問題なのだ。量産型絵描きがデビューするせいでオリジナルをかける人間の需要が少なくなってきている。

これは嫉妬なのだろうか。そうだとしてもなんかこうおもろいな~という絵が全く見られない。

イラスト界隈にもやっぱり金の亡者どもがやってくる。登録者何万人以上の人しか採用しないというのはいったいどこを見て採用するのであろうか。

なぜ今更こんな話をしたのか。それは自分自身も絵柄が変わってきているのを感じているからである。少しづつ大衆寄りになってきている自覚がある。それでも止めることができない。徐々に自分をむしばんでいく呪いのようである。

あくまでも自分は自分の求める世界を表現するために絵を描き続けるのだ。何年でも。年十年でも。このことだけは絶対忘れてはいけない。そのために今回こんな愚痴を吐いたのだ。

いま私は酔っぱらってこの記事を書いている。酔っぱらっているときほど本音が出るのであろう。なので最後に一言だけ言わせてくれ。

もっときれいな世界が見たい。

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