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イチゴ農家でアルバイトしてきた話7【分水嶺編】

samune

あの日の選択をもう一度

ハイどーも。管理人のサンマスターです。前回はイチゴのピーク時について書き記せたと思う。今回はイチゴ農家の実態ではなく、当時の自分の状況について書き記そうと思う。

時は3月上旬、このころから自分の仕事観について、多少の変化があったような気がする。結局農家だろうがサラリーマンだろうが仕事は仕事。泣きたくなるほどきつい部分は必ずあるのだ。仕事について不平不満は当然あるし、やってて達成感がある瞬間もどこかしらにある。つまるところ自分はどんな仕事やったって変わらず伊藤カイジだということになる。じゃあ周囲が許す限り、好きなことをすればいいじゃんってなるが、相も変わらずそれが何かが分からない。ほんとにどうしようもないやつである。

そんな心境の変化の中、自分は今後の生活について考えていた。バイトを始めた時に聞いていた話だと、出荷は5月中旬に終わるらしい。しかも今年は暖冬で、2週間ほどペースが速いため4月末に終わるのではないかともいわれていた。

そういうわけで自分は、就職活動のはじめ時をうかがっていた。始めるならそろそろだろう。ならこのバイトは4月頭に辞めるべきか?それとも、いっそのこと出荷終わりまでやってしまうか?あとどれくらい最長でここにいれるのだろか?等々。(それもピーク時のきつさやコロナの影響、手入れ時間の増加という暖冬のもう一つの影響によってすべて無駄になったわけだが……)

ここでのバイトはとても楽しかった。上司は有能。給料はまぁなんとか暮らせる程度。指示もよく通るし考え方も勉強になる。勤務スタイルに目をつぶれば優良企業なのは間違いなかった。

ここでおじさんから一つの提案がされる。ここで正社員として働かないかという提案だ。条件としては、最初の2・3年は12万の給料でそれ以降は、出荷の取り分が回ってくるようになるというものだった。設備も完備。技術も熟練者が教えてくれる。農業希望者からすれば、まさに破格の条件である。

自分はここで激しく悩む。最初に書いたように仕事は仕事。何をしたってきついということは理解している。しかしその一方で、会社員と自営業者の働き方の違いというのもまた理解していた。自営業者、少なくともおじさんたちはイチゴの仕事にすべてをかけて臨んでいる。寝ても覚めてもイチゴのことだけを考え、日中、ひどいときは夜まで出荷のために体を動かし、作業が終われば事務の仕事でパソコンモニターの前に座り数字と戦う。ご飯を食べながら、眠りに落ちる前に次の段取りを考える。それがこの職場で働くということだ。

それが自分にもできるのか?多分やれば自然にそうなってくるのだろう。ただそんな覚悟でこの仕事をしていいのかと考えれば、それを自分自身が許さなかった。これは素人なりの創作者としての意地である。創るということに真摯かつ素直でなければならない。作品は絶対に覚悟と慈しみをもって創ってやれというのは常に思うことだ。自分は農業に対してその覚悟はできなかった。

それに、一般的ではあるが、脱サラ農業は30代や40代でやるものらしい。そうすることで農業の良さが分かりのめりこめるとか。実際自分も農業だけでなくもう少し違うことをやってみたいなぁと思っていた。もっといろんなものを見てみたいし経験したい。ここに来た時では考えられない思いが生まれていた。それもこれも、このバイトによって仕事に対するイメージが変化したためである。

と、もっともそれらしいことを述べてはいるが、結局のところ「農業に週7、8時間以上も費やせるわけねーだろ!もっと遊びたいお年頃なんだボケ!」ということである。自分は友人ほど達観していないし、根っこは屑である。煩悩や欲は捨てきれない。※農業者は尊敬してるし仕事もやっててすごいとは思ってます。

そういうわけで、おじさんのお誘いは丁重に断らせていただいた。ただ、途中でやめるのも気持ちが悪いため出荷まではいさせていただくことになった。やり切ったという感覚が欲しかったからだ。

それにもかかわらず、いつでも待っているとおっしゃったのはやさしさからか、それとも未来予知なのか。それはこの先にならないと分からない。

腹もくくり出荷ピークに臨み、自分の農業バイトはついに終わりを迎えることになる。

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