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イチゴ農家でアルバイトしてきた話9【夢の続き編】

samune

ま、人生はまだまだ続くんですけどね!

ハイどーも。管理人のサンマスターです。前回まででイチゴ農家でバイトしてきた話は記し終えたと思う。何か補足があれば書くかもしれない。今回はこの経験を通して思ったことを書き連ねて、ひとまずこのシリーズを終えようと思う。中にはすでに書いたことがあるかもしれないけど、そこんところよろしく。

1つ目は仕事に関する考え方。初めはやっぱり学生気分という奴だろうか。楽な仕事をしたいとか、残業したくないとか、完全週休二日とか、とにかく仕事は適当に趣味の時間を大事にしたいという気持ちが強かった気がする。でもそれは雇われる以上は考えない方がいいかもしれないと思った。まず雇われの時点でこちらの一方的なわがままを通そうというのが間違い。仕事である以上きつい部分は何かしらあるのでそれをどう受けていくかそこが大事なんじゃないかなぁと思う。仕事のせいで趣味がない。と、この2つを結びつけるのではなく、仕事はきつかった。趣味は……まぁ時間がないなぁ。と分けて考える方が精神的に楽なのかもしれない。

2つ目は才能や素養に関して。これは賛否があるので不快に思う人もいるかもしれないが、思ったことなので書いていく。ぶっちゃけていうと、人生は才能、環境で大体決まるが逸脱することは可能である(ちなみに努力も立派な才能だと思ってるよん)。というのが今の考えである。自分の親はサラリーマンで特に専門スキルもなく、自分にお前は何もできない子といわれながら育った結果、本当に何もできない子になってしまったのではないか?。それに比べて友人の方はどうだったか。基本自由に育てられ、両親に関しては有能な家系で父は理数に強く母は人格者、更に農業を手伝うことで判断力や考える力が養われている。その結果、なんでも卒なくこなせる優しい人間になったのではないか?バイト中1つの家族をずっと近くで見てきて、自分はそう思わざるを得ない。

しかし、そんな人生を外れることはできる。成功するかはわからない。適正があるかもわからない。それでも全く新しいことをはじめることは可能である。現に自分は結果論だしいい方向とは決して言えないが、普通のサラリーマンであるはずの人生から外れ、農家にバイトに行った。これが今後、どのような影響を与えるのかは全く分からないが、楽しかった、やってよかったとは確実に言うことはできる。まぎれもなくこの経験は自分の宝物だ。

何が言いたいかというと「できないものはできないので、その中でやるだけやったら自分を責めるな」ということである。要領の悪い自分を好きになってくれ。自分よりできるやつは星の数ほどいるからそれでいちいち落ち込むな。やれることは少ないと思うけどあるから……多分。

それと言葉の重みについて考えることがあった。今の世の中はインターネットで人生についてそれっぽいことを簡単に知ることができる。若いうちは苦労を買ってでもしろ。とか仕事なんてやっぱりくそだよね。とかできる人間は○○をするべきとか。後批判しかしないやつ。ネットで知った聞こえのいい知識で説教するやつがいる気がする。その言葉自体は正しいことなのだけど、なんか聞く気になれない。重みのある説教をする人は、実際にその人の立ち振る舞いや行動に出ている。極端な例を挙げるならば、日夜売上ために身を粉にしている人間と、時間だけ浪費して金だけもらっていく人間に、若いうちに苦労をしておけと言われた場合、自分は間違いなく前者の言葉を重く受け止める。本来教訓というものは壮絶な経験をして初めて感じるものだ。○○をしておくという言葉の先にはこんな意味があるのだとその身に刻むことで、初めて他人にその教訓を受け継がせることができるのだと思う。やたら説教したり分かった風なことを言う人がいて、信じれるかどうか怪しいときは、そう思った経験談を聞いてみるといい。その人が口先だけの人間か、百戦錬磨の強者か一発でわかるはずだ。

そして最後に思ったこと。これが一番強く思ったことだ。それは人生マジで何が起こるかわからん。この一点に尽きる。

新卒一発目にデスマに巻き込まれるのも、一年未満でやめるのも、農業するのも、農業があんなにきついものだったのも、原付に乗るのも、何もかもが想像もしていなかったことである。その過程でいろんなことを経験した。ガソリン入れたり、保険を自分で切り替えたり、納税したり、確定申告したり、フリーターになったりと挙げればきりがない。望む望まざるにかかわらず、動く動かざるにかかわらず、とっぴでもないことは突然やってくる。

とにもかくにも、自分にとってこの期間は社会人になるための心の準備をする期間だったと思う。社会不適合者が何とかやっていくための訓練。そう思えばこの経験は必要だったのかもしれない。

この後、自分はこの情勢の中、仕事を探さなければいけない。職歴やら資格やら考えると自分のこの先は悲惨なものな気がしないでもない。自分の無能に苦悩しながらゴミみたいな人生を送りそうな気がしないでもない。それでも精一杯生きていこうと思う。死ぬのは怖いけど、死んだら死んだで仕方なし。精一杯やったのだから。それに人生何が起こるか分からない。わからないからこそ、そこに身を投じることにドキドキする。今後自分は何をやらかしてくれるのか自身に興味の目を向けながら、この体験記をいったん終えようと思う。

見てくれた方はありがとうございました!